入院しましたとさ!!


2001年。頭に二つ穴をあけました。人生初めての手術を受けたのです。話せば長い事ながら、要するにそういう事です。お暇なら最後まで読んでやってくださいな。

3月、どうも変な頭痛に悩まされていました。仕事すると痛くなり、寝てると治る。オレの潜在意識(ナマケモノ)がなせる業か?!とか思いつつも奥さんに相談すると「ちゃんと調べなさい。中盤は分厚く慎重に、左サイドのアタックに気をつけろ!」とダバディ通訳を通じて指示を受け、病院へ投入されました。監督(奥さん)の指示どおり、MRI(暗いよー狭いよー怖いよー。死むかと思った)にて頭部検査を受けたけど異常なし。ちゅうか、検査してるうちになんか良くなってきて、あらやっぱり楽勝ぢゃん!てな感じ。すっかり慢心したオレは、前園のようにテングになってしまっていました。「オレのヘディング(頭)は強い!」と。

5月GW、大阪のイズイさんら企画のイベント目的で奥さんと二人でドライブ旅行to大阪へ。途中岡山県福石のSAで昼食をとりました。が、ここからがすべての始まりだったのです。夕方、大阪へ到着。新大阪駅近くの宿へ。しかし、どうも調子が悪い。ずっと運転したので疲れたんだ、オレは強いんだと言い聞かせ、友達との待ち合わせに。いぇーい!けっこう久しぶりの美人元人妻らに会うも、テンション上がらずやっぱし調子悪い。晩飯はほとんど箸をつけず、次に言ったZIPで遂にゲロッパ!まさにSoulBar!!(言うてる場合か!)「チクショー!やっぱしあのラーメンかいっ!!」と吐捨物を見ながら昼食を呪う。から揚げ入りのラーメンなんか食べるんじゃなかったと後悔しつつ、こらアカンので宿に戻る決意。(あ、山本さん、トイレにOBはしてませんので。念のため)トホホホ。新大阪駅でもいっかい吐く。苦しかったです。宿で正露丸を貰いちょっと休むと、なんか良くなってる感じ。やっぱしせっかくイベントの為に来てるのにこのまま帰るのは惜しいと判断したオレらは、夜中、再びタクシーにて梅田へ向かいました。午前1時前、ダウン到着。盛り上がってるー!さきほど別れた不良オヤジ&元人妻と再び合流。ひさしぶりに会えた人がいっぱいで、空きっ腹へのコロナビールもアシストして、たちまちハイテンション!うひょー、オノデラさん!タルさんはぢめまして!!たっちゃんにタイゾー、WCW無くなってもうたやん。吉田はんえらいスッキリしてはる。山口さん、明日店行きます!みかちゃんひさしぶいー!ナカタくん、こないだはスマンねー!めっちゃオモロかったよ。イズイさん、Pinちゃん、えらい盛り上がっててヨロシイがな、羨ましいなぁ、などなど。ふんでも、体調も悪いもんで3時くらいには帰らせていただきました。とりあえず、ひとつ野望達成できてヨカッタよかった。「よーし、明日はレコ屋めぐったる」と野望その2を胸に怒涛の大阪初日を終了したのでした。2日目、知り合いのおもろい夫婦(旦那さんが真面目にボケると奥さんが切れ味鋭く一刀両断)とお茶。しかし、やっぱしどうにも体調が悪いので、レコード屋もレコバッグも諦め(WWFのT-シャツだけは買った!)宿に戻ってひたすら休憩。コンビニで弁当・雑誌買ってきて、ホテルでゴロゴロしてました。妻よ、つまんない旅行になってホントにスマン!3日目、そんな状態なので朝一で帰路に。マジで死む思いで帰ってきました。帰宅してすぐリバース!食事なんかとっちゃいないので酸っぱいヤツ。く、苦しい。この時点では、食中毒許すまじ!と恨みはから揚げ一点集中だったのです。医者も休みなので行けず、ちくしょー!オレのGWを返せと布団の中で臍を噛む日々でした。

休みが明けて、体調優れぬまま内科へ行きましたが、血液検査の結果はシロ。なにーっ!じゃ、なんでオレは未だにこんなしんどくて首は痛いのン?!ちゅうことで、今度は近所の整形外科へ。ここは近所でも有名なヤブ医者なんですが、レントゲンとって症例を訴えると本人の許可も得ずいきなり首筋に痛み止めの注射(かどうかもわからん)をブスリ!「はい、電気あてて」と首が痛くて座っているのもツラいオレ様を妙な機械前に座らせて10分間放置。首にコルセットを無理やりつけて「はい、レントゲンは異常ないからこれで明日からバリバリ仕事してね!」だと。皆様、広島市東区光町の森整形外科にはゼッタイ行ってはいけません。場合によっては殺されるかもよ。行かないよりはマシ、と症状軽減を微かに望んだオレがバカでした。死にそうになりながら奥さんに電話して、迎えに来てもらいます。吐いた。見かねた奥さんと母親の相談で、河石病院という街中の病院へ診察へ行くこととなりました。しかーし!ここでも、頚部のMRI(暗いよー狭いよー怖いよー。苦手)を撮ったモノの異常なしとの診断。なんじゃそらー!!金返せー!!病院から帰り苦しむオレを見て、母親は藁にもすがる思いで知り合いの整体師へ連絡。オレも藁にもすがる思いで、整体初体験なの、ドキドキ(とか言ってる余裕は無かったけど)。結果、なんと頭痛・首痛は和らいだのです。オレの中で現代医学への信用がガラガラと崩れていく瞬間でした。「インチキ医者なんか信用するもんか!公明党ばんざい!!」(創価学会の方のようでした)一回4千円の整体治療へ週一ペースで5月いっぱい通ったのでした。

5月末、しかしながら整体に行っては一週間ほどで症状も戻るといった堂堂巡りを繰り返していたのですが、ちょっと別の痛みが急襲。トイレへ行こうとふらふら寝床から起き上がると、後頭部に鋭い痛みが走るのです。なんか針をゆっくりと刺されるような痛み。なんじゃこらー、とそれでも一週間ほど我慢していましたが、明らかに整形外科系とは異なる痛みに、ちょっと危機感を感じました。それでも「現代医学なんか信用できるもんか!」とあがくオレは、鍼治療などにも手を出しましたが効果なし。「このままでは、ホントに死んでしまうかもしれない」と母親がかかりつけの医者に蒼白で相談。すると、前に行った河石病院に大学病院から来ている脳外科のいい先生がいるので、そこで看て貰いなさいとの事。6/12、嫌がるオレは、奥さんに無理に連れられて再び河石病院へ行くと、なんと検査の為、即入院となってしまったのでした。脊髄に注射されて(初体験)、MRI(もう慣れた)いっぱい撮られて、問診受けて、わかったのは「硬膜の下に血腫が出来ている」という事でした。まず、これが「なんで?」らしい。若い人には珍しいんだって。先生に「どっかで頭打ちましたか?」と問われても自信満々で「いいえ!!」と答えるオレ。でもなーんかぶつけたような気がしてたんだよなー。入院3日目くらいだったか、奥さんの顔を見ながら話をしていると、とある記憶が蘇る!あ、オレ大阪でコンクリにヘディングした!!自分の健康について、前園のように慢心していたオレは(長い前フリ)イズイさんのイベント会場にて、餃子の皿を持ったまま、激しくコンクリートの 梁に渾身のヘディングを叩き込んでいたのでした。(ダウンって2階の天井えらい低いねんもん)思い出したことを先生に告げると「そうか、時期的にはちょうどだね、確かに」との事。ぶつけてからちょうど一ヶ月くらいで血腫は出てくるものらしい。結局診断は「慢性硬膜下血腫」というオジイオバアの病名。しかしそれでも先生は納得いかない顔をしていた。「起きると痛いっていうのは、ちょっとおかしいんだよね」と。内心オレは「マジで生命の危機?!」とか思いながらビクビクしてた。するとウチの奥さんが「昨日インターネットでこんなん見つけたよ」と”低髄圧性症候群”なる病気の説明を見せてくれたのです。読めばなるほど!髄圧が低い為に脳が下がり、寝ているとダイジョウブだが、起きると痛みが走るなど、まさにオレの症状とピタリです!そういえば、オレの髄液を採取するとき、髄圧が低いというような事を言っていたな。対処方法は、髄液に自分の血を入れる”ブラッドパッチ”なる方法らしい。まだ認知度の低い病気らしいので、早速、この事を主治医の先生に告げると、先生は先刻ご承知のようで「じゃ、ブラッドパッチしますか?」との事。でも、とりあえずは髄液を作る為の点滴を2〜3日うけることになりました。しかし、そのうち容態は悪化。寝ててもツライ。少しでも起きると吐き気が!どうも硬膜下血腫が大きくなりつつあるらしく「年寄りならもうちょっと待つんだけど、若くて脳が元気だからもう切っちゃおう」という事で手術決定!ブラッドパッチの次の日、手術の為、オレは早朝丸坊主になるのであった。

手術は、局部麻酔で行うとの説明。え?起きてるの?オレ!?頭に穴あけちゃうのに?!先生の説明によると、この手術は外科で言うと盲腸の手術みたいなもんらしい。穴をあけて、血を抜いて、洗うと。簡単だよ、と先生は言うが、生きたまま頭に穴あけるんですぜ!旦那!!とビビッたりもしたけど、実は、逆らう意志などちっともなかったオレ。それほど頭痛はひどく、3日ほど全くメシが食えない状況にあったのです。「早く切ってくれ〜」てな感じ。思考能力が著しく低下していたオレは「手術すればウソみたいに良くなるよ」というのを言葉どおりに受け止め、「今日の午後には痛みはないんだ!ツラサから開放されるんだ!!」と盲信していました。注射いっぱい打たれて、さぁ手術。目隠しされて、手術台にくくりつけられて「じゃ、いきまーす」チュウ〜「今麻酔打ってるよ」「今から切開するよ」メリメリガリガリ。痛みはないけど、切開音がスゴイ!頭皮は分厚いらしく、さながら彫刻刀で削りだされる銘木の気分か。「今かかってる音楽わかる〜?」「いえ」「ダニーボーイっていうどっか(忘れた)の民謡だよー」「へー」ピーピーと心電図の音がする中、手術する側とされる側、会話は弾むわけがない。「じゃ、穴あけマース」ぐおりぐおりぐおりぐおり。おおー、オレのアタマでカキ氷か?と思わせる豪快なボウリング音。「はい、空いた。じゃ、洗うねー」「あー若いから押されてた脳がもう戻ってきてるよー」どうやら研修医を指導しながらの手術らしく、助手にオレの脳を説明している。オレの脳の見た目は何点か聞こうと思ったけど、手元が狂ったら死むのでやめました。中華料理(だっけ?)の猿の気分ナリ、キテレツ!食べちゃダメなり!!洗い終わると縫合。ふんで、おんなし行程で反対側も。手術室入ってから全部で一時間半くらいだったかな?順調に終わりました。終わってからオレの脳内にあった血腫を見せてもらう。右80cc、左60cc。ドロッとしたどす黒いのん。「成功ですよ」と先生。ふぃーヨカッタ。手術室を出ると奥さんが待っていた。すまんねー、心配かけたねー。ちょっと放心状態ながら、病室へ。アタマにすごい違和感が。そりゃそうか、穴あけたんだもんな。しかし確かに術前の不快感は無い。「あーヨカッタ。痛みから開放された」と思っていたら、だんだんと麻酔が切れてきた。ズキズキズキズキズキ。そう、傷が痛いのだ。術前のアホな期待はバブルと化した。そりゃそうだよね、頭皮切って縫ったんだモノ、骨削ったんだモノ、と文字通り骨身にしみる32歳。夜には熱も。39度以上。つらくはないが、熱い!座薬を入れて、どうにか眠れました。その後は順調で、6月末にはで無事退院。(退院時にはうでくんが見舞いに)帰宅後は、いろんな方からお見舞いいただいたりで、お返し何しよーなどと、療養しつつ夫婦で相談してたのですが・・・。

そう、このあとまだ話は続くのです。


 

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